2015年2月5日木曜日

マッサン裏話 (竹鶴政孝とリタ)実話

NHK朝ドラ(マッサン)は、亀山政春は、エリーとエマを伴って余市に工場を開き、りんご汁を製造したがなかなか売上が伸びずに悩んでいるところですが、現実のお話はどのようだったのでしょうか?

昭和9年7月大日本果汁株式会社が設立されました。
ドラマでは、北海道果汁株式会社となっています。
今のニッカウイスキーの前身の会社です。

資本金はわずかに10万円でした。
ドラマでは、最初から20万円の出資になっていましたが、実際には、昭和9年に10万円、昭和10年に20万円に増資になっています。

ドラマに出てくる鴨居商店の山崎工場は、寿屋山崎工場であり、当時の建設費が200万円というから、余市工場の実に10倍でした。
とても、マッサン(竹鶴政孝)の工場が競える相手ではなかったのでした。

竹鶴政孝のリンゴジュースは、東京大阪という大消費地からは遠く離れた北海道、地の利に恵まれず、創業以来の赤字続きでした。
しかし、ニシン漁が不漁となった昭和10年の頃で、余市に不景気の嵐が吹き荒れていた頃、竹鶴のリンゴジュース工場は、余市のリンゴ農家に活気を与え、歓迎されていました。

そんな中、昭和10年9月に政孝の妻リタ(ドラマではエリー)が5歳のリマ(ドラマでは、エマ)を伴って余市にやって来ました。

その年の暮れ政孝は、ウイスキーづくりの夢を実現するために株主には内緒で余市工場に蒸留用のポットスチルを設置しました。

このころ、日本の政治状況は軍部が台頭し大戦につながる大変な時代へと突入していました。
政孝が、寿屋山崎工場で仕込んで長い間眠り続けていた原酒は、ついに「サントリーウイスキー12年もの角瓶」となって発売され、洋酒の世界で名を馳せていました。

余市工場の株主も、これに負けじと政孝をウイスキーづくりへと背を押すようになりました。
早期商品化を迫られていた政孝は、迷いぬいた末に樽詰め満5年を待たずにウイスキーの発売に踏み切りました。
これが、ニッカウイスキー第1号です。昭和15年10月のことでした。
それから1年余りで日本はアメリカと各国を相手に無謀な太平洋戦争に突入します。

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