2015年3月20日金曜日

黒パンと白パンの歴史(マッサン ~3月20日)

マッサン(政春)の姉の子供、悟がシベリヤに抑留されて
いた時の話が、恐ろしいけれどの現実の話として、受け
止めなければならないと思いましたね。

息も凍るような厳寒の中で、ほとんど食事も与えられず
に作業をさせられた日々、食事は1日僅かな一切れの黒
パン。当時のソビエト兵は、自分たちだけ白パンを食べ
ていたと聴きます。
あまりに空腹なのとものすごい寒さの中で、食事が喉を
通らずせっかく食べたパンもすぐに吐き出してしまったり、
下痢をしてしまうという。

そんな状況のなか、空腹に耐え切れずに、排便や嘔吐
物に混ざったまだ消化しきれていない麦粒を洗って食べ
たという話を聞いたときは、ソビエトがどんな国でどんな
仕打ちをしたというよりも、戦争そのものの悲惨さと恐ろ
しさを、これほど惨たらしく聞かされるのは、なんとも声
も出ない感がします。

日本はあの戦争で1000万人の戦死者を出し、そのうちの
殆どは餓死だったといいます。
戦争に駆り出されること、すなわち、死を意味していたわ
けです。

そんな体験をした悟るから見ると、政春が「3級イスキー
は偽物」といった言葉に、政春の奢りがあることを見抜き
嫌悪をぶつけたとしても、自然のような気がします。

政春はそれに気づき、3級ウイスキーの生産開発に踏み
切りました。
そこが、彼の偉いところ。
身寄りのない住む家もない人々に住む場所と仕事を与え、
そして今、庶民の中に愛されるウイスキーづくりに踏み切
るという、自分の理想は持ちながらも常に人々の生活とと
もに自分の生き方を決めていった政春でした。

因縁めいてはいますが、政春が3級ウイスキーに適した原
酒を見つけたその樽は、なんと、戦死した一馬が置いてい
った大麦の種で作った原酒だったのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿